モロッコの南端の町ワルザザードでの出来事です。
マラケシュからバスに乗ること5時間、やっと着いたワルザザードのホテルで夕食を食べ終わった私は夜の砂漠の街を肌で感じるためにふらりと外に飛び出しました。
ホテルの前を抜ける大きな道には、電灯がまばらに立てられ、白熱灯のオレンジ色の光がぼんやりと周囲を照らしていました。
まだ9時を過ぎたばかりだというのに通りを歩く人はまばらで、店もほとんど閉まっていました。
ところどころに屋台らしきものが立ち、夕食を食べながら談笑する人の姿がちらほらと見え隠れするのを見て、ややほっとしながら散歩を続けました。
途中ラクダの引く馬車、荷物を背負ったロバとすれ違い、ぎょっとさせられながらも砂漠の町独特の幻想的な雰囲気を楽しみながら歩き続けました。
そろそろ戻ってみるかと思い始めた頃、薄暗い電灯の下にベンチがあるのを見つけ、腰を下ろしました。
タバコを吸いながらしばらく辺りを見渡した後、何かの気配を感じて右後ろを振り返ると1メートルも離れていない場所に男が立っていました。
驚いてベンチから立ち上がると、その男はゆっくりと歩いて近づいてきました。
ベルベル族風の顔立ちのその男の顔はかなり黒く、薄暗い電灯の下では目と歯が浮いているように見えました。
「なんだよ。」と日本語で語気荒く声を発すると男は何も言わずニヤッとして両方の手のひこちらに向けながら小さく何度かうなずきました。
しばらく睨み付けていると、男は右手をベンチの方に向けてあごを出しました。身振りでベンチに座れと言っているようでした。
なんだよと思いながらも、まあいいやと腰を下ろすと、男も少し離れて座りました。
相変わらず笑顔でうなずき続ける男に、私は「D’ou venez-vous?(どこから来た?)」、「Comment vous appelez-vous?(あんたの名前は?)」と聞くと、手をあっちに動かしこっちに動かしするばかりで意味が分かりませんでした。
英語で話しかけても同じことでした。
しばらく眺め続けた私は、もしやと思って自分の唇を指差してから手を左右に振った後、「None?」と聴きました。
すると男はうなずき、更に自分の耳を指差してから顔を左右に振りました。
やっと分かりました。彼は聾唖者のようでした。
ただ純粋に日本人旅行者と話したかったようで、とても嬉しそうに身振りで表現していました。
私も身振り手振りで飛行機が飛ぶ真似をしたり、バッグを持つ格好をしたり、バスを運転する様子を演じたり、ジャッキーチェンの真似をしたりとコミュニケーションを楽しみました。
彼の職業は縫製業のようで、針で布を通す様子を何度も繰り返して、お金が少ないんだよしゃべれないしさ、と悲しげな顔で訴えていました。
長い時間やり取りをした私は彼のことがすっかり好きになっていました。
彼の演じる一場面一場面の表現の豊かさと感情たっぷりの表情、そしてユーモア溢れる演技に少し感動していました。
なんだか涙が出そうになってしまいました。。。
分かれるときに、またいつか会おうと硬く握手をして言葉を発しました。
「J’ai passe une tres bonne soiree!(良い夜だったよ)」
彼もニッと笑って私の顔を見つめました。
「Did you enjoy?」
彼はそう言いました。
身振りでなく、言葉を発しました。
なおも英語で続けます。
「楽しかったかい?だったら1ドルくれるべきだ。」
しばらく状況が分からず相手を見つめ続けた私は、ふっと笑いながらポケットから1ドル取り出すと、彼に渡しました。
彼は少し不安の混ざった子供のような顔で受け取りました。
私は無言でその場を去るとホテルに向かって歩き出しました。
空に大きく光る月を見上げて、にやりとしながらつぶやきました。
「聾唖の詐欺師か。。。」と