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旅の果てに探し当てたものは。。。

チュニジア-レザールージュ2
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旅で自分は何を見たんだろう、何に出会ったんだろうと考えることがあります。


旅では常に新しい物に出会います。

人、建物、景色、気候、食、風土、習慣など、数え上げればキリがありません。



それぞれが旅に彩りを与え旅の素晴らしさを味あわせてくれる大切な要素です。



そんな中でひときわ際立って感じる新しいものがあります。

それは自分の反応です。

初めて見るものに対する自分でも経験したことのない感覚、思考、反応。

笑い、驚き、戸惑い、悲しみ、怒り、そんなものが入り混じった今まで見ることのなかった自分を発見します。


旅を楽しむ自分を見つめると同時にそれに対する反応を冷静に見つめる自分。

それはよく使われる言葉「自分探しの旅」での自分ではなく、そこで否応なく出会ってしまう自分自身なのかもしれません。


物乞いに両腕を差し出されたとき、両腕のない子供に涙を流しながら見つめられたとき、両目のない老人が地べたに座り込んで一心不乱にタンバリン叩く姿を目にしたとき、火葬場の横で死を待つだけの老婆の乾いた手のひらを目の当たりにしたとき、燃え盛る火の中でゆらゆらとうごめく死体を発見したとき。。。。



イタリアの文学者アントニオ・タブッキが小説「インド夜想曲」の主人公に「失踪した友人を探して旅した先に発見したものは自分自身だった。」と言わせた意味が少し分かるような気がします。



そのときに目にする初めての自分。

そのとき目にする自分自身が「旅」のひとつなのではないかと思います。
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「2つ並んで建つはずだったタージ・マハルの完成形」

世界で最も有名な世界遺産のひとつ”タージ・マハル”

かつてインド-.ムガール帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンが、溺愛したした妻ムムターズ・マハルのお墓として作らせたものでした。

このお墓は贅沢を極め、工事には毎日2万人の人々が働き続け、完成までに22年の歳月を要したのでした。

使用された膨大な白い大理石は400キロ離れた町マルクラーナから運ばれたといいます。

そのシャー・ジャハーンがタージ・マハルを完成させた後に最も望んだもの。

それがブラック・タージ・マハルなのでした。

その構想とは、タージ・マハルの裏に流れるヤムナ川を挟んだ反対側に、タージ・マハルと全く同じ形のお墓を”黒い大理石”を使って建てる事でした。

しかし、タージ・マハルが完成した2年後に病に倒れ、更には王位を狙う自分の息子に監禁され、その夢は絶たれたのでした。

もし完成していれば、川を挟んだ白と黒のタージ・マハルが向かい合うという、この世のものとも思えない荘厳なお墓になっていたことでしょう。

インド-2つのタージマハル1
インド-2つのタージマハル2
インド-2つのタージマハル3

「衝撃!タージマハルの芝を刈る牛」-インド-アーグラ

タージマハル&牛1
タージマハル&牛2


はい。タイトルのまんまです。

牛はインドで芝刈り機にもなるんです。

神の使いなのに。。。。。。

一生懸命仕事をする牛は、なかなか健気で可愛いんです。

「プラットフォームをうろつく牛」-インド

インド-牛1
インド-牛2
インド-牛3

なんだか突っ込みどころ満載の題名です。


いったい何のことなんでしょうか。


そのまんまの話です。


インドの駅のプラットフォームには牛がいます。


冗談だと思いますか?


ホントです。


なぜでしょう。


ヒンドゥー教で牛は神の使いとされているからです。






そんな話はどうでもいいです。


とにかくどこにでも牛がいます。


駅のホームでも、チケット売り場の行列の間にも(ホントに)、路地裏でも、国道のど真ん中でも、土産物屋の門の前でも、カレー屋の前でも、インターネットカフェの入り口前でも、八百屋の前でも、牛はいます。


インド人は牛に突っ込みを入れません。


「なんでやねん!」、「なんでここにおんねん!」、「ありえへんわ!」


いっさい突っ込みません。


振り返りもしません。


牛は日本の野良猫です。


少しだけ大きい野良猫です。


そう思えば違和感がないでしょ。


牛は猫なんです。

「川岸の死体焼き場」-.インド-バラナシ

※この日記にはグロテスクな表現が含まれますので、苦手な方はご遠慮下さい。

インド-バラナシ-マニカルニカー・ガート1
インド-バラナシ-マニカルニカー・ガート2
インド-バラナシ-マニカルニカー・ガート3


ヒンドゥー教の聖地、インド-バラナシ。

ヒンドゥー教では、寿命を全うした後にバラナシを流れるガンジス川に遺灰を流されたものは輪廻から解脱できるという教えがあります。

そのため、自分の死を悟った人間がバラナシで死ぬことを望んで、インド各地から訪れるのです。

バラナシ3泊目の夕方、いつものように川辺に船を浮かべる船頭にガンジス川遊覧を頼んだのでした。

昨日と同じように船でゆらゆらとバラナシのガート(沐浴所-聖なるガンジス川で体を清める石段)を眺めて廻った後、おもむろに船頭が「まにかるにかいったか?」と聞いたのでした。

ん?「まにかるにか?」呪文?

「なんだそれ?」

「シタイ、シタイ。」

ああ、例の場所ね。

まだ見てなかったから行くことにしました。

その「マニカルニカガート」は遺体をガンジス川に送り出す場所で、いわゆる死体焼き場としてもっとも有名な場所です。

その場所に近づくと、シナモン、スターアニス、サンダルウッドのような、なんだか甘ったるい香りの空気が漂っていました。

周りには人だかりと山のように積み上げられた薪、そして重い空気でいっぱいでした。

しばらく見ていると、金色の布に包まれた何かが数人の男に運ばれてきました。

それはキャンプファイヤーのように詰まれた薪の上に置かれ、火をつけられました。

火葬が始まったのです。

船から降り石段に座って30分くらい眺めていると、その塊はなんだか動いているように見えました。

まさか、まだ生きていたんじゃ!と一瞬考えましたが、それは火であぶられた死体の筋が萎縮して動くのだということでした。

その後も目を話すことが出来ずに見続け、体から体液が沸騰し、湯気が沸き立ち、徐々に人間の面影を失っていく死体を見続けたのでした。

燃え盛る火にあぶられてうごめく死体、そして崩れていく元人間、遺灰を流した30メートル先で体に水をかけ流し沐浴をする老婆、となりで歯を磨く子供、その横には牛が寝そべり糞をし、犬がじゃれあう。

そんな場面に出会ったときに目にする自分。

その発見こそが私にとっての旅なのでした。

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