私がいわゆるバックパッカーとして海外初一人旅に出たのは大学4年の頃でした。

沢木耕太郎の「深夜特急」、アントニオ・ベッキオの「インド夜想曲」にもろに影響を受けていた私が選んだ行き先は考えるまでもなくインドでした。
半年間焼鳥屋でバイトして貯めた34万円を使って大学卒業までの数ヶ月でインド中を歩きつくしてやろうと考えていました。
飛行機は片道チケット、初日のホテルも取らず、訪れる街もルートも決めず強引に出発しました。
トランジットを経てインドのカルカッタに着いたのが夜の12時、空港の外を覗き込むと真っ黒な顔に白い目だけをぎょろつかせたインド人の群集が生肉を投げ込まれたハイエナのような顔をして見つめていました。
とうとう舞台インドの幕開けでした。
空港案内所職員までグルにした騙しの罠からギリギリのところで逃げ出し、世界中から集まるバックパッカーが集まる安宿街サダルストリートにたどり着いた私はやっとこれからのルートを考えはじめました。
インドの東はじが出発点なら西はじまで横断しよう。
西はじに着いたら次は最南端を目指そう。
そこからどうするかはその時決めようと。
カルカッタを出発した私は電車に乗り込みブッダガヤで仏陀の足跡を辿り、
バラナシのガンジス河で人が燃やされ、灰が流された河の水で体を清めうがいをする生と死の混沌とした世界を体感して衝撃を受け、
アーグラ、デリー、ジャイプールでタージマハルをはじめとしたムガール帝国建築の圧倒的絶対的な迫力を目の当たりにしました。
次にたどり着いた街ジャイサルメールがインド最西端の砂漠地帯でした。
昼間は最高気温57度にも達し、夜は建物自体が40度もの熱を持ちシャワーがお湯しか出なくなる。そんな過酷な砂漠地帯で見た地平線にゆっくりと沈んで行く真っ赤な大きな太陽。

人に何か強烈な感動を抱かせたまま自分はいつの間にかひっそりと消えて行く。そんな孤高の美しさともの悲しさを同時に秘めた高温のガラスのような塊は私の心をむんずと掴み、その後の人生観に大きく影響していきました。
そして、旅人との邂逅を純粋に楽しんでいた私ですが、次第にその出会い自体を避けるようになっていきました。
旅での出会いから徐々に仲良くなり心を通わせ旅を共にして行き、心が通じ合ったと思ったと同時に別れがやって来る。そんな繰り返しに何の意味があるのか。私は出来るかぎり人との接触を避けるようになっていました。
その後ウダイプル、アーマダバード、ボンベイ、アウランガーバード、エローラ、アジャンタ、ゴア、マンガロール、コーチン、アレッピー、クイロンと渡り歩くうちに以前のように人との出会いを恐れなくなり、旅そのものを楽しめるようになっていました。
南国の地トリヴァンドラムを経由してインドいち美しいといわれるコヴァーラムビーチにまるで運命のように集合した10人の旅人との出会い。それはまるで文学全集を一冊一冊読んで行くような新鮮な驚きと感動をもたらしてくれました。みんなで海を見つめ談笑し空を眺め市場に行き肉を仕入れ魚を買い料理をして星を眺める。そしていつの間にか一人去り、二人去り、ついに私も去ることにしました。

次の目的地。。。。。それがインド最南端の場所、聖地カニャークマリでした。
3人の仲間を連れだって電車に乗りトリヴァンドラムの思い出話をしながら心を決めていました。
これで終わりにしようと。。。。
カニャークマリの夕日を見ようと全員で岬に向かう途中、奇妙なものが視界に入りました。
それは真っ裸で道路の真ん中に横たわり糞を垂れ流す一人の男性でした。周りのインド人は助ける様子もなく通り過ぎて行きます。
最後の最後に強烈なインドの現実を目の当たりのしました。
岬にたどり着き、真っ赤に空一面を焼き尽くすような象徴的な夕日を見つめながら私の旅の一つの句切りが訪れるのを感じました。
これからの人生で旅を続けるとしても、あれほど純粋で鮮烈な旅をすることはできないだろう。あの得体の知れない焦燥感と不安感、充足感が入り混じった混沌とした旅を再現することは不可能だろうと。
訪れる場所場所で必ず経験する人との出会いと別れ。旅人として出会った以上は決して避けられないはかない、だからこそ優しく切なくそして強烈に輝く一瞬一瞬。
それらが、いやそれこそが旅なのかもしれません。そしてそれは常套句のように語られる人生そのものなのかも知れません。
これが私のインド夜想曲でした。
そこから私の新しい旅、新しい夜想曲が始まって行くのでした。